Category: 人生

  • 令和6年3月2日 仕事は神事

    誰もが仕事を持っている。

    会社に勤めている、自分で事業をしている人は勿論、主婦の人、年配でリタイアした人でも、それぞれ自分の役割がある。

    仕事とは神事(かみごと)である。

    仕事とは、神様との出会いである。

    こういうことは証明できない。理屈ではないからだ。

    本人が気付くしかない。

    気づいていない人にいくら説明しても、その人は分からない。

    でも、「仕事は神様との出会い」と言われたとき、誰もが心当たりがあるだろう。

    神様という言葉が嫌いな人は、良心と置き換えてよい。

    仕事は自分の良心との出会いである。

    このことに気づくと、自分の周りが見えてくる。

    家族のことから、地域、職場、国、国際情勢までが見えてくる。

    自分の仕事をまっとうすること、どれだけ仕事に打ち込んでいるかが、その人の判断基準であり、同時にわたし自身がほかの人から判断されるときの基準でもある。 

  • 令和6年1月30日 人生を生き抜く

    人は誰もが自分の人生を肯定して死んでいく

    Sはかねがね、こう思っている。

    高齢者に人生で後悔したことを聞くと、「チャレンジしておけばよかった」という答が返ってくるらしい。

    でも、チャレンジしなかったことは後悔しているが、自分が歩んできた人生そのものを後悔しているわけではなかろう。

    自分の人生を否定することは辛すぎる。

    恐らくDNA的にそれはできまい。

    どんな人生を送ったとしても、「自分は大きな成功はしなかったが、まずまずこんなもんであったろう」と感じるのではないか。

    こういうことは、高齢者に質問しても、的外れな答が返ってくるだけである。

    「我が人生に悔いなし」と言って死んでいくためには、自分のうちから湧き上がる使命を感じながら生き抜くことであろう。(使命とは、萬物から感じる天命とつながっている気がする。)

    後悔しないためには、生き「抜く」ことである。

    使命、天命に従い、生き抜く。

    使命、天命は遥か彼方にあるのではない。

    足元にすでにある。

    足元から掬い取って、自分自身を取り戻すことである。

  • 令和6年1月28日 改革を言う人は怪しい

    現状を改革し 新しい未来を築こう!

    こういう主張は、俺が小さい頃からたくさん見られてきた。

    青年期や若い頃は俺も同意していた。

    その後、色々な経験を積むにつれて、違和感を覚えていった。

    今は改革を言う人は怪しいと考えることにしている。

    ちなみにその人の人柄や人間性とは別の話である。

    人柄や人間性が良い人が改革を主張することだってあり得ると思っている。

    私たちが取り組むべきことは私たちの伝統や文化の中にもうすでにある。

    私たちは文化や伝統の中からそれに気づき取り出して取り組んで行けば良い。

    改革は必要ない。

    社会や政治だけではない。

    人生も同じではないか。

    自分自身をよく見つめ、それを取り出し 育ててあげる。

    自分の人生が良くなることと社会や政治が良くなることは、実は同期しているのだと思う。

    長くなったので これについてはまた別の機会に書いてみる。

  • 令和6年1月27日 自分がやりたいことと、他の人にしてあげたいこと

    人生にとって仕事はとても大事なことである。

    人はその人生の大半の時間を仕事に費やすのだから。

    仕事はできれば人のためになることが実感できるのが良い。

    どんな仕事でも人のためにはなるけれど、仕事の内容だったり、自分の気持ちの持ちようだったりで、実感できないことがはある。

    その一方で、 人のためにはならないが自分のためになる、という仕事に取り組んでもいい。

    自分の気持ち の赴くまま、 自分のひらめきの思うままに、自由に 可能性が開花していくような感じで取り組めるのが、自分のための仕事だ。

    こういう仕事があると、人のためになる仕事にも力が入る。

    人はきっと こういう2つのことをバランスを取りながら生きていくことが、 DNA にインプットされているのかもしれない。

  • 令和6年1月25日 立ち返る

    日本人本来の清明な心境に立ち返る

  • 令和6年1月23日 日本人はもともと自由である

    西洋の人、ここではキリスト教の人と日本人を比べてみる。

    キリスト教の人は、生まれながらに罪を背負っている。

    生まれた途端に制約されている。

    だから、製薬から解き放たれ、自由であろうとする。

    一方日本人は、キリスト教のような現在を背負って生まれては来ない。

    生まれながらにして自由である。

    だから 自由のままでは社会に迷惑をかけることもあるから、時には 制約をかけるのである。

    ここが日本人の特色である。

  • 令和6年1月9日 落ち込む

    20代の頃、30代の頃、時々落ち込むことがあった。

    いつ頃からか、落ち込むことはなくなった。

  • 令和五年12月24日 余命

    夕方、近所に住む年配の女性が家に来た。

    小柄な人である。

    彼女の家は事業を営み、自宅は大きい。

    少し前、事業を廃業した。

    大きい自宅を手放して、夫とともに小ぶりな家に住み替えるという。

    引っ越しの挨拶に来たのだ。

    彼女は自分の余命は病気のため半年だと言った。

    病気にかかっているが、見た感じは、治療のためか髪を短く切っていることもあり、多少以前ほどの活力は感じなかったが、十分に元気だ。

    話は普通にできる。

    普通に歩ける。

    普段の生活はもとのままできるようだ。

    目の前にいるそんな人が、半年後に病気で亡くなるなんて信じられない。

    何かをしてあげたいが、何をしていいのか分からない。

    もどかしい。