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  • 令和五年12月17日 百里基地

    令和五年12月17日 百里基地

    朝4時半に起きた。
    東武アーバンパークラインに乗り柏駅に向かった。
    柏駅に着く少し前、電車は大きくカーブした。
    そのとき右手を見ると、東の空が少しずつ赤くなってきた。
    6時少し過ぎに 柏駅に着いた。

    常磐線の電車が来るまでに、15分ほど乗り換えの時間があった。
    ホームに出ると寒いので、柏駅のコンコースで常磐線の電車を待った。
    コンコースのはじで、スーツを着た40代男性が酔っ払って壁に寄りかかっているのが見えた。
    からだをフラフラさせていた。
    寒いのにコートを着ていなかった。
    壁に向き直り壁を軽く叩いた。
    目をつむっている。
    上半身をフラフラさせた。
    覚束ない足取りでからだを揺らせながら力なく2、3歩あるいて、また元の位置に戻った。
    上半身をゆらゆらさせていた。
    下半身にはまったく力が入っていなかった。
    ふらふらと歩き出し、おれの視界から消えた。

    常磐線のホームに立ち食いそばの店があった。
    おれの好きなチェーン店だった。
    店はまだ閉まっていた
    入り口の隙間から、店の中の光が見えた。
    中で開店の準備をしているらしかった。

    常磐線の水戸行きに乗った。
    車内には我々と目的地が同じであろうと思われる人たちがたくさん乗っていた。
    座席はほぼ 埋まっていた。

    我孫子駅に着く頃、空全体が薄い青色になった。
    薄青色のところどころに、薄墨色の雲が置かれていた。
    電車は我孫子駅のホームに滑り込んだ。
    ホームは、天井に取り付けられた一直線の照明が白く輝いていた。
    ホームはいくつもあるから、照明の白い線が何本も走っていた。
    駅全体がまだ眠っていた。

    天王台駅に着いた。
    東の空の地面に接するあたりが、オレンジ色に輝き始めた。
    取手駅に着く前に長い鉄橋を渡った。
    鉄橋の上から川上の方を見ると、オレンジ色の空が広がっていた。
    左手にキリンビールの取手工場が見えた。
    工場を過ぎると車窓は一変し、一面に田んぼが広がった。
    遠くに 筑波山を眺めることができた。

    藤代駅に着くと、太陽が右手に姿を現した。
    龍ヶ崎駅に向かって行くと だんだんと 住宅が増えていった。
    龍ヶ崎駅は 簡素な駅 だった駅前の賑わいはそれほどなかった。

    牛久駅に着いた。
    完全に夜が明けた。
    電車のドアが開くと冷たい風が車内に吹き込んできた。
    日立の牛久駅に着く前に、高速道路をくぐった。
    車窓を見ると新しい 家が 立ち並んでいた
    駅前に大型マンションが建っていた。
    次の駅は 土浦駅 という車内アナウンスが流れたとき、左手にプリマハムの工場が見えた。

    土浦は住宅が広がり大型マンションが立ち並び 大きな町である。
    駅の構内敷地は広大だった。
    旅客用の上り下りのホームの隣は広い空き地で、貨物用の線路が1本敷かれていた。
    かつてこの広大な土地は貨物の操車場であったのだろう。
    おびただしい数の線路が敷かれていたはずだが、ほとんどが剝がされていた。
    もあった。
    貨物エリアのところどころに コンテナが置かれていた。
    土浦駅での停車時間は長かった。
    発車メロディーは聞いたことのない曲だった。
    車内放送でここからは ドアは手で開け閉めするようにとの案内があった。


    土浦駅を過ぎると立ち並んでいる家の様子が変わった。
    一軒一軒が大きく古くなり、軒も高くなった。
    風格を感じる家が増えた。

    神立駅に着いた。
    若い女の子が何人も乗ってきた。
    ホームを歩いている人も若い子が多い。
    高浜駅に近づくと、車窓の風景が変わった。田んぼには水が張ってある 。山が近い。
    高浜駅に着いた。ホームのすぐそばから田んぼが広がっている。
    私の乗っている車両は降りる人も乗る人もいないのでドアは開かなかった。


    7時半過ぎ、百里基地の最寄り駅、石岡駅に着いた。
    ここで降りた。
    ホームの横には操作場跡と思われる敷地が広がっていた。
    そこに基地までを往復する 送迎バスが数十台 止まっていた。
    茨城県内のバス会社が協力して 300台体制で運行しているという。
    バスに乗り込み、前から3番目の席に座った。
    すぐにバスが満席になり、基地に向かって走り出した。


    駅を出てしばらく走ると、茨城空港 アクセス道路に入った。
    道路は空いていて、対向車はほとんどない。
    バスはほとんど無人のアクセス道路を走り続けた。
    晴れてきた。

    バスの大きなフロントガラスから太陽の光が差し込んだ。
    アクセス道路は山を切り崩して作られていた。
    茨城空港まで 1km の標識が見えた。
    戦闘機が飛ぶ音が聞こえた。
    左側に機影がふたつ見えた。
    左側から聞こえたジェット音は、すぐに頭の真上に移動した。

    窓の外の道路を見た。
    近所の人であろうか、歩いて基地に行く人たちが増えてきた。
    あとで知ったが、この人たちは近所の人ではなかった。
    近所の住民がこの日は、自宅の庭などを有料駐車場にしていたのだ。
    歩いている人は、クルマで来て、この駐車場にクルマを停めた人たちだった。


    バスは、三角スコーンが道の両側に隙間なく並べられた狭い道に入った。
    スコーンのそばにはフェンスが立ち、その向こうには枯れ草が生い茂る土地が果てしなく広がった。
    航空基地に来たことを実感した瞬間だ。

    滑走路と格納庫が小さく見えた。
    交通整理をするガードマン、自衛隊員、警察官、たくさんの人たちが道路に点々と立っている。
    バスは滑走路の先端の先にある広い空き地に止まった。
    バスを降りると草の匂いがした。
    遠くのスピーカーから、長渕剛の乾杯の曲が流れている。

    もうすでに基地の中である。
    しかし、戦闘機などが展示されている会場は遥か遠くにあった。
    会場まで基地の中を歩く。
    敷地が広すぎて会場はどこか全くわからない。
    バスから降りた人たちが歩く流れのって歩き続ける。
    遠くに管制塔が小さく見えた。
    近くの滑走路脇の敷地には、ススキが生い茂っていた。
    大分歩いた。
    広大な場所に出た。
    手荷物検査のためのゲートがいくつも設置され、横に広がっていた。
    手荷物検査を受け、会場内にようやく入った。
    時間は8時半を回っていた。