Category: 日本

  • 令和6年1月22日 日本という呼び方

    令和6年1月22日 日本という呼び方

    日本という呼び方の使われ方について書きたい。

    学校で習う 日本の歴史を日本史という。

    日本の文学のことを日本文学 という。

    私たちが使う言葉を日本語と言う。

    当たり前のように思っているけれども 当たり前じゃないんだ。

    日本が昭和20年、アメリカに占領されるまでは 日本史は 国史だった。

    国史と呼ぶと、日本人が日本の伝統や歴史にたいして敬意を持ってしまうから 、占領している人たちはそうさせないように 日本史 という言葉を使わせた。

    日本史 という言葉にはイギリス史、フランス史、 中国史 、アメリカ史、日本史 というような、どの国も テーブルの上に並んでいるような フラットな感じが込められている。

    国史と言ってしまうと、 日本だけが特別な存在になるけど、日本史と言えば、他の国の歴史と同列なものとして 俺たちは認識できるわけだ。

    占領している人たちはそれを目論んで それは成功した。

    そのことに気づくことは、いろんな意味で、自分にとっても、家族にとっても、社会にとっても、日本にとっても、世界にとっても大事なんじゃないかな。

    どんな意味で大事なのかはまた別の日に改めて。

  • 令和6年1月15日 頼山陽 花より明くるみ吉野の

    花より明くる
    み吉野の
    春の曙
    見渡せば
    もろこし人も
    高麗人も
    大和心に
    なりぬべし

    頼山陽が謡った今様である。

    最後の大和心になりぬべし、が腑に落ちる。

    日本人は、あるいは日本という国、国土は、外国人を受け入れ、そして外国人の心を変える力を持っていると思う。

    芥川龍之介はこの日本の特質を、作り変える力と言っていたと思う。