Category: 美術

  • Keiichi Tanaami Retrospective Exhibition

    Nearly 20 years ago, I went to Aoyama for work. I had time before a meeting with a client, so I went to a gallery. In the gallery, Keiichi Tanaami’s works were on display. That was my first encounter with an artist named Keiichi Tanaami.

    I felt nostalgic when I saw Tanaami’s work. I had a hunch that I would continue to be associated with Tanaami’s works. I bought a collection of Tanaami’s works at a gallery.

    About 20 years after I encountered Tanaami’s work at a gallery in Aoyama, I saw a retrospective exhibition of Keiichi Tanaami at an art museum in Roppongi.

    20年近く前、わたしは青山に仕事で行きました。顧客との打ち合わせの前、時間があったので、あるギャラリーに入りました。ギャラリーには、田名網敬一の作品が展示してありました。それがわたしと「田名網敬一」というアーティストとの初めての出会いでした。

    私は田名網の作品を見て懐かしい気持ちになりました。わたしはこれからもずっと田名網作品とつきあっていくだろうと直感しました。わたしはギャラリーで田名網の作品集を1冊買いました。

    わたしが青山のギャラリーで田名網の作品で出会ってからおよそ20年後、わたしは六本木の美術館で田名網敬一の回顧展を見ました。

  • The 150th anniversary of the birth of Impressionism

    This year (2024) marks the 150th anniversary of the birth of Impressionism.
    An Impressionist exhibition is being held at the Sompo Museum in Shinjuku.

    Last month, I saw the exhibition with his wife.
    Impressionist works were displayed in chronological order.

    I have not liked Impressionist works since I was a student.
    It seemed childish, like it was drawn by a middle school or high school art club student.

    Lately, I’ve started looking at paintings more often, and I’ve come to realize something.
    The fact is that the students in the art club were creating impressionist-like works.

    Impressionist paintings became the standard for art education.

    I liked some of the works on display at the art exhibition.

    I bought the exhibition catalog at the museum shop.
    At home, I opened the catalog and looked at the paintings.
    The impression of the works was completely different from when I saw them at the exhibition hall.

    What was Japan like 150 years ago?

    150 years ago was 1874, the 7th year of the Meiji era.
    The new Meiji government promoted a policy of enriching the country and strengthening the military.

    Three years later, Takamori Saigo, who had retired from a key government position and was running a school in Kyushu, fought the Seinan Rebellion against the Meiji government forces.

    Kuroda Seiki, the father of Western painting in Japan, went to France to study in 1884.

    At first he studied law, but in 1886, under the tutelage of Raphael Conan, he began to study painting.

    Raphael Conan was a traditional painter, but he also incorporated impressionist and symbolist styles to create his own unique style.

  • 印象派絵画が誕生して150年

    今年(2024年)は、印象派絵画が誕生して150周年だ。
    新宿のSOMPO美術館で、印象派の展覧会が開かれている。

    先月、わたしはその展覧会を妻と見た。
    印象派の作品が年代に沿って展示されていた。

    わたしは学生のときから印象派の作品は好きではなかった。
    中学校や高校の美術部の学生が描いたようで、幼稚に思えたからだ。

    最近、絵画をよく鑑賞するようになって、ある事実を知った。
    その事実とは、美術部の学生は印象派のような作品を描いていたのだ。

    印象派の絵画は、美術教育の基準になったのだ。

    わたしは美術展の会場に展示されていた作品のうち、いくつかを気に入った。

    美術館のショップで展覧会のカタログを買った。
    家でカタログを開いて、絵画作品を見た。
    展覧会場で見たときと作品の印象がまるで違った。

    150年前の日本はどのような時代だったのだろうか。

    150年前は1874年、明治7年だ。
    明治の新政府は富国強兵政策を進めていた。

    それから3年後、政府の要職から退き、九州で学校を経営していた西郷隆盛は、明治政府軍と西南戦争を戦った。

    日本における西洋絵画の父、黒田清輝は1884年にフランスへ留学した。

    はじめ法律を学んだが、1886年にラファエル・コナンの指導のもと、絵画を学び始めた。

    ラファエル・コナンは伝統的な作風の画家だったが、印象派や象徴主義の作風も取り入れて、独自の画風を作り上げた。

  • 令和6年3月22日 北欧の象徴主義絵画

    丸の内線に乗るのは久しぶりだ。

    車体デザインが一新された。

    赤く丸みを帯びた伝統のデザインを踏襲し、さらに丸みが印象的になっている。

    四ツ谷駅から乗って、西新宿駅まで行った。

    地上へ出たら、そこはきれいな見たことないビルの入り口だった。

    建て替わった東京医科大学病院だった。

    ここからSOMPO美術館まで歩いて3分ほどである。

    ここで北欧の美術展が開かれていた。

    19世紀から20世紀初頭、北欧の画家たちは私たちにインスピレーションの塊のような作品をたくさん残してくれた。

    十数年絵画を見てきて、自分の好きなジャンルがほぼ分かってきた。

    まず現代アートは肌に合わない。

    全部ではないけれど。

    機械とかメカニズムを取り入れた作品は好きだ。

    UJINOとか。

    印象派はここ数か月、急に好きになった。

    これまではまったく関心なかったのに、突然、作品が輝いてきて、不思議で感覚だ。

    一番好きなのは象徴主義の作品である。

    象徴主義というのは、印象派の次に生まれた絵画ムーブメントだ。

    印象派が戸外の風景を、光の変化とともに客観的に描こうとしたのに対して、象徴主義は風景を画家の心理や内面というフィルターを通して描いている。

    わたしに言わせれば、印象派は科学的であり、象徴主義は文芸的なのだ。

  • 令和6年3月15日 上野で展覧会を見た

    昨日3月14日、日差しはだいぶ春めいてきたけれど、空気は思いのほか冷たく、外出には冬のコートが必要な日であった。

    午前11時ごろ家を出て、JR総武線に乗って上野公園に向かった。

    上野駅の公園口を出ると、花見の時期にはまだ早く、平日だというのに、たくさんの人がいて驚いた。

    外国人の旅行客の姿が、ここひと月ほどで急に増えた。

    東京国立博物館に入り、本館で開かれている中尊寺展を見ようと思ったが、会場に入る人の列が、玄関の車寄せに並んでいるのを見て、先に東洋館に入って、中国仏像と、清時代の書家、呉しょう石の展覧会を見ることにした。

    中国仏像は1階に展示されていた。6、7世紀、西魏、東魏、隋時代のものが多かった。

    そのあと、大きな窓があり、館内が見えるエレベータで4階に昇り、呉しょうせきの作品を見た。

    東洋館を出て、中尊寺展に入るための列はどうなっているのか、本館玄関前を見たら、まだ30分まちの列ができていた。

    わたしたちは博物館内にある法隆寺宝物館に向かった。

    もう一度、正門の横を通り抜けて、東京藝術大学のほうに向かって歩くと、博物館の奥まった敷地に法隆寺宝物館が建っていた。

    奈良にある法隆寺のお宝が東京で見られるとは、なんと幸せなことかと俺はいつも思っている。

    宝物館では観音菩薩立像を主に見た。

    数十体見たが、どれも飛鳥時代のものであり、すべて重要文化財であった。

    一体一体表情やしぐさが違う。

    1300年前の仏像なのに輝くばかりに綺麗だ。

    観音菩薩を見終わり、宝物館のなかに設置されているレストランで遅い昼食をとることにした。

    ホテルオークラが出店しているカフェレストランだった。内装や調度品は簡素でカジュアルな店だ。

    メニューをみるとカフェ中心のようで、食事メニューは限られていた。

    わたしはハッシュドビーフ、妻はエビピラフを注文した。

    食事が終わり、テーブルでスマホから中尊寺展の込み具合を確認すると、待ち時間はなくなっていた。

    わたしたちはレストランの会計を済ませて、中尊寺展の会場へと向かった。

  • 令和6年3月11日 国立西洋美術館で現代アート

    昼過ぎから、上野の国立西洋美術館で現代アートの内覧会を見た。

    内覧会の直前に、どういう人たちかは知らないが、若い男女が

    川崎重工は武器供与をやめろ!

    イスラエルはジェノサイドをやめろ!

    と主張し始めた。

    突然のことだったので、主張が始まった直後はあっけにとられた。

  • 令和五年10月20日

    令和五年10月20日

    上野へモネの展覧会を見に行く。

    JR上野駅の公園口を出る。以前は改札を出ると道路を渡らなければならなかったが、近年、駅前を再開発して道路をなくし、改札前を広場のようにした。

    駅の改札を出て、そのまま上野公園につながる空間ができあがった。

    文化会館の脇を通り、パンダ橋と彫られた大きな石を左手に見ながら、会場の上野の森美術館へ向かう。

    この美術館は産経グループが運営している。大手メディアはどこも美術展を主催しているが、美術館を持っているのは産経だけではなかろうか。

    美術展の構成は、モネの画業生涯を見渡せるものだった。

    印象派以前から、印象派に至り、晩年の作品までが網羅されていた。画家としてのキャリアをスタートさせたころは、サロンに2回入賞するも、その後はモネの画風とサロンの審査方針とがあわず、独自の展覧会を開き、それが印象派へとつながったのは有名な話だ。

    モネは太陽光によって色彩が生まれることに気づいた。モネ以前の画家にとって太陽光は、暗いか明るいかであった。レンブラント式であった。強調したいところは明るくして、ほかは暗くした。

    モネは自然に生まれる色彩を描こうとした。しかもその色彩は太陽光の反射によって生まれているものであり、太陽光は刻一刻と変化するから、反射の具合も刻一刻と変わる。

    モネは、その変化をキャンバスに生み出そうとした。それは絵画史において、画期的な偉業であったけれど、モネにとっては苦しみが始まった瞬間でもあったろう。

    モネの生涯の作品を通覧して、そう思った。