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  • 令和五年12月19日 東武線を乗り継ぎ佐野へ帰る 

    令和五年12月19日 東武線を乗り継ぎ佐野へ帰る 

    東武線を乗り継いで船橋から栃木県まで行く。
    いまはお昼の12時半。
    天気は曇り。気温 8°c。風はない。
    日が差していないので寒い。
    東武アーバンパーク ラインの柏行き各駅停車60000系車両に乗った。
    車内は空いている。座席は1/4も埋まっていない。
    新鎌ヶ谷駅に着いた。新京成線、北総線成田スカイアクセス線が乗り入れる拠点 駅である。
    駅周辺 はまだまだこれからも 発展するであろう。

    むつみ駅に着いた。かつては ここを 発着とする電車が運行していた。
    今はその運行がなくなり、不要となったホームを取り外す工事を最近終えたばかりである。
    黒いダウンジャケットを着た3人の女子高生が乗ってきた。下はジャージを履いている。
    席に着くとすぐに、3人ともスマホを熱心に いじり始めた。

    高柳駅に着いた。 東武アーバンパーク ラインは 急行が走るようになった。 この 高柳駅は急行の停車駅である
    逆井駅に着いた 車内の座席はほぼ 埋まった。
    新柏駅に着いた 次は終点柏である

    東武アーバンパーク ラインは船橋から大宮まで走っている。
    基本的には 船橋から柏の区間と柏から大宮までの区間の2系統で運行されている 1日に数本船橋から大宮までの直行の急行が運転されている

    柏駅に着いた jr常磐線との乗り換え駅である
    柏駅で大宮行きの電車を待った。
    ホームに入ってきたのは、オレンジと灰色のツートンカラーで塗装された8000系車両であった。
    東武鉄道の博物館に動態存されていた60年前の車両だ。
    かつては この塗装で彩られた車両が各地の東武線を走っていた。
    令和5年の秋から東武アーバンパーク ラインでの運行が始まった。
    車内はできるだけ 60年前のデザインを残している。シートや手すりは60年前のものではないだろうが 車内全体に レトロ感が漂う。
    大宮行きの急行である。柏駅を出ると次の停車駅 流山おおたかの森駅に着いた。
    つくばエクスプレス 銭湯の 乗り換え駅である。駅前には巨大ショッピングモールが建設された。大型マンションも立ち並んでいる街全体が新しい 若い 活気がみなぎっている。

    次の停車駅は運河 だ 。
    車窓の両側には住宅が立ち並ぶ。 新しい家も多い。

    運河駅を出るとすぐに 駅名の由来にもなった 運河を渡る 明治時代 、フランス人技師の指導のもと、流山から利根川までを 掘削して巨大な運河が掘られた 海運全盛時代の遺構である。
    運河のすぐ近くには東京理科大学のキャンパスがある。

    梅郷駅に着いた。
    車内は空いてきた 座席は半分ほど開いている
    窓の外を見ると、薄日がさしてきた

    右手に大きな観覧車が見えた まもなく 野田市駅である キッコーマンの巨大な工場が右手に広がる。
    野田はキッコーマン の企業 城下町である
    野田市駅は ホームが高架となった ホームが増設された。
    退避線も増設された。駅舎や ホームはほぼ出来上がったが、まだ工事は完了していない。
    新たな ホームの共用もまだだ。
    東武アーバンパークライン においての新たな拠点 駅として整備されている。

    愛宕駅に着いた。この駅も新しくなった。

    清水公園駅に着いたホームのすぐそば から 公園が広がっている新しい住宅も立ち始めている56年前までは駅の周り一面は雑草が生い茂る 原野であった。

    まもなく 七光台駅である このあたりは 単線区間である
    七光台駅に着き 停車していると 柏行き電車がホームに入ってきた

    七光台駅で車掌が交換した新しい車掌は車内アナウンスの声が小さい。 何を言っているのか聞き取れない。
    男子高校生の3人組が乗車してきた。冬休みの雰囲気を醸し出した。
    令和5年もあと10日あまりで終わる。

    江戸川を渡った。
    川幅は大きく趣のある川である

    南桜井駅に着いた。線路に平行して走っている道を、学校の授業を終えた小学生たちが集団下校していた。

    次の停車駅は富士の牛島駅である みやびな名前だ。

    線路際に枝々に実がたくさんついた、古い大きな柿の木があった。

    春日部駅に着く 手前で東武伊勢崎線を超えた
    春日部駅に着いた 東武伊勢崎線の駅行きに乗り換えた駅を出て すぐ 右手に大きな車両基地があった

    東武動物公園に着く手前、
    窓から見える家々は古かった。

    車内は空いていた。
    モーター音はほとんど聞こえない。 車内は静かだった。
    線路のつなぎ目を通過する音だけが車内に響いた

    ロングレール が主流となった今、この音を聞くのは久しぶりだった。

    和戸駅を出るとまた 車内は静かになった。

    東北新幹線の巨大なコンクリートの高架が見えてきた まもなく 久喜駅である。接続している
    久喜駅で 館林行きに乗り換えた
    車内の座席はほぼ 埋まっていた。ドアのすぐ横に立った
    電車は 左手に大きくカーブしながらJR 宇都宮線を超えた

    電車は各駅に停まりながら 館林に向かった。
    左右には田んぼが広がった 見える大きな構造物は 送電線だけだ 北関東 ならではの果てしない平野の風景が広がる。
    一番前の車両に乗ったので線路はまっすぐに伸びるが、よくわかった。
    目の前に座っている年配の男性が、新聞の朝刊を広げて読んでいた。

    加須駅を出てようやく座れた。外は日差しがなくなった。車内の暖房は弱い。 少し寒い。
    右を見ても左を見ても 田んぼだ。どの方向を見ても山は見えない。 どこまでも 平野だ。
    利根川の長い鉄橋を渡った。

    田んぼの中にセンター ラインのない細い道路が格子状に作られている。 そこを小さな白い車が何台も走っている。

    川俣駅に着いた。今は改札口もない 方面に大きなショッピングモールができるようだ地盤工事を行っていた。 ショッピングモールと 新たに作る 改札口をつなぐ 長い高架歩道橋が建設中だ。

    館林駅で佐野線の葛生行きに乗り換えた。 佐野線の車両は 2両編成だ。 ワンマンカーである。
    数年前までは 3両編成が1日に何本か走っていた 。今は全て 2両編成である。
    佐野線の発車ベル は 竹内まりやの曲であった。 車内に座っていると 外から マリアの発車ベル がかすかに聞こえてきた。
    黄色い帽子をかぶって ランドセルに黄色いカバーをつけた小さな小学生が、住宅と倉庫の間の道を歩いていた。

    渡良瀬駅を過ぎたところにカルピスの工場に隣接して
    東武鉄道 の解体工場があった。
    解体待ちの多くの車両が並んでいた。
    窓ガラスが外され 解体がかなり進んだ車両が1台あった。

    工場を過ぎると 渡良瀬川の長い鉄橋を渡った。

    佐野駅が近づいた。 急に山が近くなった。
    関東平野がここで終わる。関東平野の北の果てである。
    佐野駅のホームにゆっくりと入った。 ホームには高校生はたくさんいた。 ローカル線は依然として高校生の足である。
    佐野駅を出て電車は右へ大きくカーブした。
    目的の駅に着いた。

    無人駅である。
    発車のブザーがホームに鳴り響いた。
    電車が北へ走り去った。
    私たちだけがホームに残った。
    電車の走る音が聞こえなくなった。
    静かだ。
    空気の音が聞こえてくるようだ。

  • 令和五年12月17日 百里基地

    令和五年12月17日 百里基地

    朝4時半に起きた。
    東武アーバンパークラインに乗り柏駅に向かった。
    柏駅に着く少し前、電車は大きくカーブした。
    そのとき右手を見ると、東の空が少しずつ赤くなってきた。
    6時少し過ぎに 柏駅に着いた。

    常磐線の電車が来るまでに、15分ほど乗り換えの時間があった。
    ホームに出ると寒いので、柏駅のコンコースで常磐線の電車を待った。
    コンコースのはじで、スーツを着た40代男性が酔っ払って壁に寄りかかっているのが見えた。
    からだをフラフラさせていた。
    寒いのにコートを着ていなかった。
    壁に向き直り壁を軽く叩いた。
    目をつむっている。
    上半身をフラフラさせた。
    覚束ない足取りでからだを揺らせながら力なく2、3歩あるいて、また元の位置に戻った。
    上半身をゆらゆらさせていた。
    下半身にはまったく力が入っていなかった。
    ふらふらと歩き出し、おれの視界から消えた。

    常磐線のホームに立ち食いそばの店があった。
    おれの好きなチェーン店だった。
    店はまだ閉まっていた
    入り口の隙間から、店の中の光が見えた。
    中で開店の準備をしているらしかった。

    常磐線の水戸行きに乗った。
    車内には我々と目的地が同じであろうと思われる人たちがたくさん乗っていた。
    座席はほぼ 埋まっていた。

    我孫子駅に着く頃、空全体が薄い青色になった。
    薄青色のところどころに、薄墨色の雲が置かれていた。
    電車は我孫子駅のホームに滑り込んだ。
    ホームは、天井に取り付けられた一直線の照明が白く輝いていた。
    ホームはいくつもあるから、照明の白い線が何本も走っていた。
    駅全体がまだ眠っていた。

    天王台駅に着いた。
    東の空の地面に接するあたりが、オレンジ色に輝き始めた。
    取手駅に着く前に長い鉄橋を渡った。
    鉄橋の上から川上の方を見ると、オレンジ色の空が広がっていた。
    左手にキリンビールの取手工場が見えた。
    工場を過ぎると車窓は一変し、一面に田んぼが広がった。
    遠くに 筑波山を眺めることができた。

    藤代駅に着くと、太陽が右手に姿を現した。
    龍ヶ崎駅に向かって行くと だんだんと 住宅が増えていった。
    龍ヶ崎駅は 簡素な駅 だった駅前の賑わいはそれほどなかった。

    牛久駅に着いた。
    完全に夜が明けた。
    電車のドアが開くと冷たい風が車内に吹き込んできた。
    日立の牛久駅に着く前に、高速道路をくぐった。
    車窓を見ると新しい 家が 立ち並んでいた
    駅前に大型マンションが建っていた。
    次の駅は 土浦駅 という車内アナウンスが流れたとき、左手にプリマハムの工場が見えた。

    土浦は住宅が広がり大型マンションが立ち並び 大きな町である。
    駅の構内敷地は広大だった。
    旅客用の上り下りのホームの隣は広い空き地で、貨物用の線路が1本敷かれていた。
    かつてこの広大な土地は貨物の操車場であったのだろう。
    おびただしい数の線路が敷かれていたはずだが、ほとんどが剝がされていた。
    もあった。
    貨物エリアのところどころに コンテナが置かれていた。
    土浦駅での停車時間は長かった。
    発車メロディーは聞いたことのない曲だった。
    車内放送でここからは ドアは手で開け閉めするようにとの案内があった。


    土浦駅を過ぎると立ち並んでいる家の様子が変わった。
    一軒一軒が大きく古くなり、軒も高くなった。
    風格を感じる家が増えた。

    神立駅に着いた。
    若い女の子が何人も乗ってきた。
    ホームを歩いている人も若い子が多い。
    高浜駅に近づくと、車窓の風景が変わった。田んぼには水が張ってある 。山が近い。
    高浜駅に着いた。ホームのすぐそばから田んぼが広がっている。
    私の乗っている車両は降りる人も乗る人もいないのでドアは開かなかった。


    7時半過ぎ、百里基地の最寄り駅、石岡駅に着いた。
    ここで降りた。
    ホームの横には操作場跡と思われる敷地が広がっていた。
    そこに基地までを往復する 送迎バスが数十台 止まっていた。
    茨城県内のバス会社が協力して 300台体制で運行しているという。
    バスに乗り込み、前から3番目の席に座った。
    すぐにバスが満席になり、基地に向かって走り出した。


    駅を出てしばらく走ると、茨城空港 アクセス道路に入った。
    道路は空いていて、対向車はほとんどない。
    バスはほとんど無人のアクセス道路を走り続けた。
    晴れてきた。

    バスの大きなフロントガラスから太陽の光が差し込んだ。
    アクセス道路は山を切り崩して作られていた。
    茨城空港まで 1km の標識が見えた。
    戦闘機が飛ぶ音が聞こえた。
    左側に機影がふたつ見えた。
    左側から聞こえたジェット音は、すぐに頭の真上に移動した。

    窓の外の道路を見た。
    近所の人であろうか、歩いて基地に行く人たちが増えてきた。
    あとで知ったが、この人たちは近所の人ではなかった。
    近所の住民がこの日は、自宅の庭などを有料駐車場にしていたのだ。
    歩いている人は、クルマで来て、この駐車場にクルマを停めた人たちだった。


    バスは、三角スコーンが道の両側に隙間なく並べられた狭い道に入った。
    スコーンのそばにはフェンスが立ち、その向こうには枯れ草が生い茂る土地が果てしなく広がった。
    航空基地に来たことを実感した瞬間だ。

    滑走路と格納庫が小さく見えた。
    交通整理をするガードマン、自衛隊員、警察官、たくさんの人たちが道路に点々と立っている。
    バスは滑走路の先端の先にある広い空き地に止まった。
    バスを降りると草の匂いがした。
    遠くのスピーカーから、長渕剛の乾杯の曲が流れている。

    もうすでに基地の中である。
    しかし、戦闘機などが展示されている会場は遥か遠くにあった。
    会場まで基地の中を歩く。
    敷地が広すぎて会場はどこか全くわからない。
    バスから降りた人たちが歩く流れのって歩き続ける。
    遠くに管制塔が小さく見えた。
    近くの滑走路脇の敷地には、ススキが生い茂っていた。
    大分歩いた。
    広大な場所に出た。
    手荷物検査のためのゲートがいくつも設置され、横に広がっていた。
    手荷物検査を受け、会場内にようやく入った。
    時間は8時半を回っていた。

  • 令和五年12月16日 台湾総統選挙3候補者

    令和五年12月16日 台湾総統選挙3候補者

    台湾の総統選挙は2024年1月13日、投開票される。

    候補者は3名に絞られた。

    民進党 頼清徳 副総統・党主席

    台湾は事実上、独立国と主張。

    蔡英文の親米路線を継承。

    副総統候補に、前駐米代表を選んだ。

    国民党 候友宜 元警察官僚

    中台はひとつという考え。

    対中経済協力路線を訴える。

    民衆党 柯文哲 医師・前台北市長

    台湾独立、中台統一について明言を避ける。

    中道路線を主張。

    中国との対話や交流を増やす考え。

    台湾の北部には国民党、南部には民進党の支持者が多い。

    民進党の支持者のほうが多く、国民の35%、国民党の支持者は30%と言われている。

    無党派層は15%とみられている。

  • 令和五年12月15日 北井一夫写真展

    令和五年12月15日 北井一夫写真展

    船橋は団地のまちだ。

    昭和の時代、経済が急成長した。

    男たちは都心の会社に勤めた。

    結婚した男たちは妻とともに、都心から少し離れたまちに住んだ。

    船橋に団地が建設された。

    夫が都心の会社に勤める家庭は団地に住んだ。

    夫は毎朝、団地の近くの駅から鉄道で都心の会社に通勤した。

    妻は団地で子どもを育てた。

    子どもにとって、団地はふるさととなった。

    写真家、北井一夫は船橋の団地の風景を撮影した。

    フナバシストーリーというタイトルで、撮影した作品を発表した。

    北井は満州に生まれ、東京と神戸で育った。

    船橋と北井とは、生まれや育ちの地において接点がない。

    そんな北井が船橋の団地を撮影テーマとしたのはどうしてだろうと不思議に思った。

    カメラマンとしてのキャリアをスタートさせた北井は、村をテーマにした。

    都会で育った北井は、田舎で見ること聞くことすべてが刺激的で感慨深いものだった。

    北井は、古き良き日本の姿をフィルムに収めた。

    1984年、北井は新聞で団地の特集記事を読んだ。

    それが北井の写真活動の転機となった。

    北井は団地をテーマに写真を撮った。

    それまで北井が追いかけていた「村」や「伝統」は、長男の世界だった。

    団地は地方から都会に出てきた次男、三男の世界であった。

    北井の撮る団地の写真は魅力的だ。

    それは長年村を撮影してきて、日本の古き良き伝統に接してきたことと無縁ではないだろう。

  • 令和五年12月14日 樋口一葉は長生きして文学が書けたか?

    令和五年12月14日 樋口一葉は長生きして文学が書けたか?

    樋口一葉は、貧しい生活のなかで作品を産んだ。

    もし一葉が裕福な生活を送っていたら、あのような作品を産むことができただろうか。

    おれは以前、一葉がもっと生きていたら、素晴らしい作品を書くことができたろうに残念だと書いた。

    【新年の歌】あらたまの 年の若水 くむ今朝は 樋口一葉 – M&Cメディア・アンド・コミュニケーション (mc-mc.co.jp)

    いまは少し違う気持ちだ。

    もし一葉が成功を収めていき、裕福になったとき、いま残っているような作品を書くことができるだろうか。

    これまで味わったことがない生活環境で作品を産み続けられるか?

    きっと苦しいだろう。

    一葉はそれに耐えられるか?

  • 令和五年12月13日 BEATLES SONGS, WHO COMPOSED??

    令和五年12月13日 BEATLES SONGS, WHO COMPOSED??

    REVOLVER

    1 TAXMAN G

    2 ELEANOR RIGBY P

    3 I’M ONLY SLEEPING J

    4 LOVE YOU TO G

    5 HERE, THERE AND EVERYWHERE P

    6 YELLOW SUBMARINE P

    7 SHE SAID SHE SAID J

    8 GOOD DAY SUNSHINE $$$

    9 AND YOUR BIRD CAN SING J

    10 FOR NO ONE $$$

    11 DOCTOR ROBERT J

    12 I WANT TO TELL YOU G

    13 GOT TO GET YOU INTO MY LIFE $$$

    14 TOMMORW NEVER KNOWS J

  • 令和五年12月12日 習近平ベトナム訪問

    令和五年12月12日 習近平ベトナム訪問

    12月12日、チャイナの習近平国家主席は、ベトナムの首都ハノイを訪れた。

    ベトナムの最高権力者グエン・フー・チョン共産党書記長と会談した。

    6年ぶりのベトナム訪問となる。

    前回はトランプ大統領の時代であった。

    来年の大統領選挙ではトランプが当選するであろう。

    習近平のベトナム訪問はトランプ大統領復活を見据えたものであろうか。

  • 令和五年12月11日 アヒージョ

    令和五年12月11日 アヒージョ

    アヒージョという料理がある。

    イタリア料理らしいが、イタリア語っぽくないと、イタリア語を知らないわたしは思っている。

    妻のお気に入りの料理のひとつだ。

    妻がつくったアヒージョを何回か食べて、おいしいなと思っていた。

    ある日、自分で作ってみることにした。

    つくる理由はとくになかった。

    突然、つくってみようと思い立った。

    わたしは最近、こういう突然の思いつき、それは直感というほどではないにしても、そういう思い付きを大事にするようにしている。

    なぜなら、そのほうがうまくゆくと思うようになったからだ。

    これも直感だ。

    アヒージョの話であった。

    作り方は分からないので、レシピをネットで見た。

    まず、鍋にオリーブオイル150ccを入れると書いてある。

    そんなに大量のオリーブオイルを1回の料理で使ったことはなかった。

    驚いたが、勇気をもって、オリーブオイルを計量カップで計って鍋に入れた。

    にんにくをオリーブオイルの中にいれた。

    にんにくの冷蔵庫にあった2種類のきのこを鍋のなかの大量のオリーブオイルのなかに入れて煮た。

    さばの缶詰を汁ごと鍋にいれた。

    茹でてあったブロッコリーやカリフラワーなどの野菜も鍋に入れた。

    軽く煮込んで出来上がった。

    恐る恐る食べてみた。

    旨かった。

    初めて作ったのに旨くできて、なんだか不思議な感じがした。

  • 令和五年12月10日 Beatles 日本リリースシングル

    1 1964年2月5日 抱きしめたい/こいつ(This Boy)

    2 1964年2月10日 プリーズ・プリーズ・ミー/アスク・ミー・ホワイ

    3 1964年4月5日 シー・ラブズ・ユー/アイル・ゲット・ユー

    4 1964年4月5日 キャント・バイ・ミー・ラブ/ユー・キャント・ドゥ・ザット

    5 1964年4月5日 フロム・ミー・トゥ・ユー/アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア

    6 1964年5月5日 ツイスト・アンド・シャウト/ロール・オーヴァー・ベートーヴェン
    日本オリジナルのシングル

    7 1964年5月5日 ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット/サンキュー・ガール

    8 1964年5月5日 オール・マイ・ラヴィング/ラヴ・ミー・ドゥ

    9 1964年6月5日 プリーズ・ミスター・ポストマン/マネー

    10 1964年9月5日 恋する二人/ぼくが泣く

    11 1964年10月5日 アンド・アイ・ラヴ・ハー/恋におちたら

    12 1964年11月5日 マッチボックス/スロウ・ダウン

    13 1965年1月5日 すてきなダンス/テル・ミー・ホワイ

    14 1965年1月5日 アイ・フィール・ファイン/シーズ・ア・ウーマン

    15 1965年2月5日 ロング・トール・サリー/アイ・コール・ユア・ネーム

    16 1965年2月5日 ノー・リプライ/エイト・デイズ・ア・ウィーク

    17 1965年日 ロック・アンド・ロール・ミュージック/エヴリー・リトル・シング

    18 1965年日 ミスター・ムーンライト/ホワット・ユー・アー・ドゥーイング

    19 1965年3月5日 カンサス・シティ~ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ/アイル・フォロー・ザ・サン

    20 1965年4月15日 パーティーはそのままに/みんないい娘

    21 1965年5月15日 涙の乗車券/イエス・イット・イズ

    22 1965年8月15日 ヘルプ/アイム・ダウン

    23 1965年9月15日 ディジー・ミス・リジー/アンナ

    24 1965年10月15日 恋のアドバイス/テル・ミー・ホワット・ユー・シー

    25 1965年11月15日 ザ・ナイト・ビフォア/アナザー・ガール

    26 1965年11月15日 アクト・ナチュラリー/イエスタディ

    27 1966年1月15日 恋を抱きしめよう/デイ・トリッパー

    28 1966年4月15日 ひとりぼっちのあいつ/消えた恋

    29 1966年6月15日 ペイパーバック・ライター/レイン

    30 1966年9月5日 イエロー・サブマリン/エリナー・リグビー

    31 1967年3月15日 ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー/ペニー・レイン

    32 1967年8月5日 愛こそはすべて/ベイビー・ユーアー・ア・リッチ・マン

    33 1968年1月10日 ハロー・グッドバイ/アイ・アム・ザ・ウォルラス

    34 1968年4月21日 レディ・マドンナ/ジ・インナー・ライト

    35 1968年9月14日 ヘイ・ジュード/レヴォリューション

    36 1969年3月10日 オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ/ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス

    37 1969年6月1日 ゲット・バック/ドント・レット・ミー・ダウン

    38 1969年7月10日 ジョンとヨーコのバラード/オールド・ブラウン・シュー

    39 1969年11月21日 カム・トゥゲザー/サムシング

    40 1970年3月25日 レット・イット・ビー/ユー・ノウ・マイ・ネーム

    41 1970年6月5日 オー!ダーリン/ヒア・カムズ・ザ・サン

    42 1970年12月5日 マジカルミステリーツアー

    解散後に日本で発売されたシングル盤

    43 1976年7月5日 イエスタディ/恋する二人

    44 1976年7月5日 ヘルター・スケルター/ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ

    45 1979年10月5日 サージェント・ペパーズ/ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ

    46 1981年9月1日 レット・イット・ビー/ゲット・バック

    47 1982年4月21日 ザ・ビートルズ・ムービー・メドレー/すてきなダンス

  • 令和五年12月9日 中劇音源

    令和五年12月9日 中劇音源

    バンドドラマーは中劇(正しくは「中劇ブルーズ」)という曲を知らなかった。

    中劇は、昭和の時代、佐野にあったストリップ劇場だ。

    曲は、ここに出演している踊り子の人生を描いている。

    バンドメンバーはみなこの曲を気に入っていた。

    私はドラマーにこの曲の音源を送った。

    曲の構成は、歌が2番まであり、そのあと長いギターソロというものだ。

    ドラマーは早速聞いて、「ギターがカッコいい」と返事を寄越した。

    そう言ってくれるのは嬉しかった。

    ギターの練習に精進しようと思った。

  • 令和五年12月8日 SNSセミナー

    令和五年12月8日 SNSセミナー

    午後、ネットでSNSセミナーを見た。

    顔出し不要で、ただ見るだけであるから、気軽に参加できた。

    テーマはSNSを使った集客と販促であった。

    GMOの社員が講師であった。

    講師はInstabramを使い認知向上を図り、LINEで販促を行う手法を教えた。

    ひととおり説明を終えると、GMOのサポートサービスを提案した。

    LINEサポートは最低1万5000円/月、Instagramサポートは最低3万円/月であった。

  • 令和五年12月7日 ガザ地区

    令和五年12月7日 ガザ地区

    パレスチナ自治政府はガザ地区とヨルダン川西岸に分かれている。その間にイスラエルがある。

    ガザ地区はハマスが支配し、ヨルダン川西岸はファタハが支配する。

    2007年に分裂状態となった。

    DSは、パレスチナを一枚岩にしないため分裂させ、分断統治を行っている。

    DSは、イスラエルのネタニエフ政権を作った。

    いま、同じ勢力によってつくられたふたつのグループが戦っている。

    正確には戦いとみせたアクションをしている。プロレスを行っている。

  • 令和五年12月6日 クリニック

    体調は引き続き良くない。

    午前中、かかりつけのクリニックに行った。

    ドクターは体調を整える漢方薬を出してくれた。

  • 令和五年12月5日 体調

    午後から体調を崩した。

    仕事やほかの用事もすべてキャンセルした。

    布団に入り横になった。

  • 令和五年12月4日 日韓米キャンプデービッド会談

    令和五年12月4日 日韓米キャンプデービッド会談

    2023年8月19日、アメリカバイデン大統領、日本の岸田文雄首相、韓国の尹錫悦大統領は、キャンプ・デービッドで首脳会談を行った。

    翌9月13日、北朝鮮の金正恩はロシアを訪問して、プーチン大統領と会談した。

    アメリカ、日本、韓国
    VS
    ロシア、北朝鮮

    という枠組みが見える。

    アメリカ、日本、韓国は、DS組である。

    ロシア、北朝鮮は自国ファースト組である。