Category: 日常

  • 令和6年3月20日 S氏オンライン文章レッスン

    春分の日、降り注ぐ日差しはあたたかくなったが、北から吹く風が冷たい。

    朝7時、ZOOMによるS氏のオンライン文章レッスンを始めた。

    30分ほど行い、次回は金曜日朝6時から行うことを決めた。

    レッスン後、S氏からメッセージが届き、「さきほどは有り難い指摘をありがとうございました」と書いかれていた。

    きょうの指導のやり方がS氏にあっていたようだ。

  • 令和6年3月14日 オンライン文章教室S氏

    朝5時ごろ、LINEを確認すると、S氏から文章教室の料金を支払ったとの連絡が来ていた。

    パソコンのメールを確認すると、先日S氏に出した宿題が「遅くなってすみません」という文言とともに届いていた。

    宿題をプリントアウトして目を通した。

    宿題はふたつ出した。

    ひとつは大分文章がまとまってきて、わたしも気分を良くしたが、もうひととつは依然として文章のストーリーが混乱していて、S氏の場合、文章の書き方云々ではなく、文章に取り組む根本のところでアドバイスしないと上達しないと感じた。

    6時からオンラインでレッスンした。

  • 令和6年3月10日 墓参り

    U子ちゃんが来た。

    妻と母親とで墓参りをしてきた。

  • 令和6年3月9日 横浜のT氏と会う

    午前中、横浜からT氏がクルマで来た。

    妹さんが一緒だった。

    朝の10時半ごろ到着する予定だったが、道が混んでいたらしく、11時過ぎにいらっしゃった。

    H氏、O氏とともに出迎えた。

    わたしはT氏と会うのは初めてだった。

    3か月に1回くらいの頻度で来たいとおっしゃっていた。

  • 令和6年2月24日 暖かくなりそうだ

    きのうは今上陛下の誕生日であった。

    皇居に行ってお祝い申し上げるのを楽しみにしていたが、雪交じりの冷たい1日だったので取りやめた。

    きょうはきのうの天気からは一転、いまは朝7時だが、明るく強い日差しが東の低い空から差し始めている。

    スマホで天気予報を見た。気温は7度くらいにしか上がらないが、一日中晴天で、きのうよりは大分暖かく過ごせそうだ。

    きのうの寒さが来るまでは、温かい日が続き、今年の冬は終わったと思っていた。

    こんどこそ今年の冬は終わりになってほしい。

  • 令和6年2月3日 おいもむしぱんと甘食を食べた

    朝6時過ぎに起きた。いつもより遅い時間だ。いつもは朝5時台に起きている。

    起きて1階に降りて、ダイニングテーブルに座って、パソコンで少しものを書いた。

    朝食の支度にかかった。支度といっても、料理をつくることはしない。目玉を焼くのと、野菜サラダは作るが、それを料理とは呼ばないこと決めているのはマイルールだ。

    コーヒーを淹れた。一人分のドリップタイプをたくさん買ってある。いろいろな種類があるので、きょうはブラジルを淹れた。

    何を飲むかは、完全にそのときの気分で決めている。

    あわしま堂のおいもむしまんというのを、初めて食べた。

    あわしま堂とはどこにある会社なのかと裏を見ると、佐野市岩崎町とあった。

    岩崎町という町名に覚えはなかった。グーグルマップで確認すると、田沼駅から山のほうへ行ったところらしかった。知らないのも無理はなかった。

    甘食も食べた。袋にはアマランサスが入っているとある。アマランサスというのが何だかは知らない。

    ほかの甘食は、ぼそぼそしていて食べにくいけれど、この甘食はおいしかった。ちょうどマフィンのっような食感だった。

    足利の葉鹿町にある小島東洋堂という会社が作っていた。葉鹿町も小島東洋堂も聞いたことない名前だった。

  • 令和6年1月24日 取り戻す

    変革は必要ない。

    本来を取り戻すことが大事なのだと考える。

  • 令和6年1月20日 大寒

    私は今 佐野 にいる。

    今日午前中 自宅へ戻る予定である。

    今は朝の6時だ。

    昨晩の天気予報では、関東地方南部でも雪が積もるかもしれないと言っていた。

    今日は大寒である。

  • 令和6年1月18日 親父の入院

    ゆうべ、お袋と電話で話した。

    医者が言うには 心臓が弱ってるみたいなことを、お袋は言ってた。

    2週間ぐらいで退院できるようなことも言ってたけれど、まあよく分からない。

    きょう俺が病院に行って、医者とは話せないかもしれないけれど、 様子を見てくる。

  • 令和6年1月16日 冷たい風が強い

    昨晩 寝る前 、外は強い風が時折吹いていた。

    風が強い 揺らす 音は人の心を不安にさせる。

    今朝は冬の日が降り注ぐ。

    外気の粒が一つ一つ輝いているようだ。

    外に出た。

    冷たい風が 思いのほか強く吹いていた。

  • 令和六年1月11日 東京ポートシティ竹芝

    JR浜松町駅北口を降りたのは数年ぶりだった。

    駅の工事が進んでいた。

    海側にあるオフィスタワー、東京ポートシティ竹橋に向かった。

    駅からビルまでは、地上3階のウォーキングデッキが新たに作られていた。

    オフィスタワーに入居するソフトバンク本社を訪ねた。

    19階が受付だった。

    このフロアには、大小の会議室と、オープンスタイルのエリアがあり、無数の打ち合わせスペースがあった。

  • 令和6年1月8日 成人式

    新成人の皆さんおめでとう!

    皆さんの未来は限りなく大きく 豊かに広がっている。

    自分自身を信じて焦ることなく、毎日を精一杯生きてほしい。

    そして君たちの可能性を開花させる環境を作るのは、我々 大人の責務である。

  • 令和6年1月6日 今年は良い年になるのか

    朝5時半に起きた。

    気温は2度だった。

    夜が明けるには まだだいぶ 間があった。

    昼頃、キリスト教の布教を行っている40歳くらいの男性が、60歳くらいの女性を伴って 我が家に来た。

    男性は私に、今年はいい年になるのか、 悪い年になるのか、どちらでもないのか、あなたはどう思う、と聞いた。

    私は、いい年になると答えた。

    男性は少し驚いた様子であった。

    私はいい年になる理由を、こう話した。

    今年はアメリカ大統領選挙の年である。

    大統領にはトランプが再選するであろう。

    ウクライナ 戦争ではプーチンが勝つことがはっきりするであろう。

    トランプも プーチンも 愛国者である。

    愛国者が 今年は勢力をつけていくであろう。

    国を愛する者たちがパワーを持つことで、世界は健全な平和に向かうであろう。 

  • 平成6年1月5日 馬喰町へ行く

    朝6時半に目覚めた。 いつもよりだいぶ遅くまで寝た。

    外の気温は3°cだった。風は吹いていなかった。

    朝食はお粥を食べた。

    卵とほうれん草で入りたまご 風の 料理を作った。

    ✧   ✧

    船橋駅。 JR 総武線快速ホームのベンチに座った。

    風が少し 吹いていた。日差しがあって暖かった。

    電車が来た。 逗子行き、15両編成 だった。前から2両目の車両に乗った。

    車内の座席はほとんど 埋まっていた。

    市川駅 を出ると江戸川を渡る。

    江戸川を渡ると左へ90度 大きく カーブした。

    小岩駅を通過して新中川を渡った。

    新小岩駅を出ると、中川と荒川を渡った。

    亀戸駅に通過する前に右へ大きく 90度ほどカーブした

    錦糸町駅に着いた

    両国駅を通過するとすぐ 隅田川を渡った 。

    線路は徐々に下り坂になり、列車は地下へ潜った。

    馬喰町駅に着いた。

    降りた。

  • 令和六年1月4日 海上保安庁の航空機と JAL の旅客機が羽田空港で衝突

    朝5時に目覚めた。

    そのまま起きずに、30分間 布団の中で過ごした。

    冬はあまり早く起きないようにしていた。

    寒いからだし、人間はやはり 太陽が出ている時に起きるのが自然でいいと思っていたからだ 。 

    外は夜のままだった。

    少し腹の具合がおかしかった。昨日と同じようだった。

    寝ている間お腹を冷やしていたからだろうか。

    朝食は柔らかいパンに、自家製リンゴのコンポートを挟んで食べた。

    生野菜サラダとスモークサーモン も食べた。

    コーヒーを久しぶりにコーヒーメーカーで淹れて飲んだ。

    ブランドが違うコーヒーメーカーが2台あった。

    出来上がる コーヒーは、それぞれに風味が違っていた。

    濃い目に入る方を使って、 少し薄めになるよう調整して淹れてみた。

    好みの風味になった。

    ✧   ✧

    1月2日 海上保安庁のボンバルディアの 航空機 と JAL のエアバスの旅客機が羽田空港で衝突した。

    衝突前後の 羽田空港の管制官と2つの飛行機との更新記録を YouTube で聞いた。

    私は 航空機の専門家ではなく事故調査の専門家でもない。

    今回の事故について、以下のことを感じた。

    ・海上保安庁の航空機が基地ではなく 羽田空港を使っていた

    ・滑走路に出ても良いかどうかの重要な指示を 管制官との雑音が多くて聞き取りにくい交信だけで決めていた。

    ・交信では指示の復唱をしない。

    ・滑走路に出る前に 信号機を設置して機長が確認できるようにすれば良いと思った。

    ・鉄道でも ATS があり 運転手が ATS に従わずに 列車を走らせていれば 自動停止する。

    ・飛行機には、地上を走る時、指示を無視して滑走路に出る時など、自動停止する装置がついていない。