小西茂也という人物を知る
仏文学者で翻訳者である
明治42年生まれ
俺がこの人物に関心をもったのは、俺と同じ栃木県出身であるからだ
栃木県のどこが出身地なのかネットで調べたが、分からない
小西は家族とともに市川に住んでゐた
戦後、敬愛する永井荷風を自宅に呼んで一緒に住んだ
2年半ほど同居した
最初は敬愛する先生の面倒を見れる嬉しさがあったが、最後は先生のことを「大馬鹿者」と切り捨てた
小西茂也という人物を知る
仏文学者で翻訳者である
明治42年生まれ
俺がこの人物に関心をもったのは、俺と同じ栃木県出身であるからだ
栃木県のどこが出身地なのかネットで調べたが、分からない
小西は家族とともに市川に住んでゐた
戦後、敬愛する永井荷風を自宅に呼んで一緒に住んだ
2年半ほど同居した
最初は敬愛する先生の面倒を見れる嬉しさがあったが、最後は先生のことを「大馬鹿者」と切り捨てた
When I attended a party held in Tokyo, Mariko Hayashi was also there. She was a guest and gave a short speech at the beginning of the party.
The speech was wonderful and left a strong impression on me.
Unfortunately, I have forgotten the content of the speech, but I remember what was wonderful about it.
☆
I was going to write about what was wonderful about it, but it seems pointless now, so I will stop writing.
However, after hearing her speech, I became a big fan of hers. That is the truth, and it has not changed.
A typhoon is approaching. I folded up the tent I set up in the garden.
The typhoon is moving slowly around Kyushu and is expected to then change course toward the Kansai region.
The Tale of Genji describes a scene from the day a typhoon passed. The storm destroyed the blinds on the door of a house, allowing a nobleman to catch a glimpse of the woman he admired.
The house needs to be repaired after the typhoon has passed. But that is the job of the servants. The nobleman’s interest was always in the woman he admired.
文芸評論家の佐古純一郎先生は、ご自身の著書「文学をどう読むか」の中でこう書かれている。
批評という表現形式のなかで自己を語ることのよろこびを感じている。
こうも書かれている。
批評は私自身が誰からも強制されることなしに選んだ表現形式である。
表現形式はいろいろある。
音楽、絵画、小説などなど。
音楽にも絵画にも、そのなかでいろいろな形式がまた存在している。
こんなにもたくさん表現形式があるなか佐古先生は、誰からも強制されたものではない批評という表現形式で自己を語り、そのことに喜びを見出していた。
佐古先生に大学でお会いして40年たったいま、わたしは改めてこのことに気づいた。
湧き上がるようなものではないけれど、確かな確固として感動を覚えた。
わたしも、誰からも強制されない自分だけの表現形式で自己を語っていいのだ。
わたしはこれまで一体誰に何を遠慮していたのだろう。
謎とされている。
古今集は醍醐天皇の勅命によって撰進された我が国最初の勅撰和歌集だ。
成立は、仮名序によれば延喜五年(905)四月十八日。
千年以上前の平安時代につくられたのに、月日まで特定できるのは、かなりレアなケースだ。
作られた背景には、もちろん和歌の隆盛がある。
古今集が編纂される100年前、嵯峨天皇、淳和天皇の御代は唐を模した政策・文化に満ちた時代であった。
文芸方面では天皇と臣下が漢詩を詠みあった。
当然、漢詩集の編纂も続いた。
いわゆる唐風謳歌時代である。ちなみに、わたしが大学生のころ、国文学の教員は国風暗黒時代であると教えてくれた。
栄華を誇った唐王朝は次第に国力を弱めて、907年ついに朱全忠に皇位を禅譲して王朝としては滅亡し、一地方政権に成り下がる。
平安朝の空気も唐から和へと揺り戻しが起きた。
こうして醍醐天皇のひとつ前の御代、宇多天皇の時代、和歌が盛んになった。
歌合せも盛んに催された。
しかし、宇多天皇は勅撰和歌集の編纂には着手されなかった。
宇多天皇が勅撰和歌集の構想をお持ちになっていたかどうかは分からない。
そして醍醐天皇は勅命を発し、和歌集の撰進となるわけだが、どうして醍醐天皇は勅命を発せられたかは、資料が残っていなくてはっきりしない。
興味深いのは、紀貫之を中心とする撰者四人は万葉集を勅撰集と考えていたことだ。
現代に生きる人たちのなかに、万葉集を勅撰集と考える人たちはどれくらいいるだろうか。
撰者は万葉時代の和歌を「古」、その万葉和歌を継承する和歌を「今」として両方から歌を選んだ。
だから「古今和歌集」なのである。
撰者たちは、万葉集を理想の古代とみて、万葉集の伝統の継承と発展を目指した。
唐風の空気が薄まり、国風の濃度が高まった時代、撰者たちはもういちど自分たちの文化を掘り起こしていった。それはどうしてなのか。
醍醐天皇は、古と今の両面から歌を撰するという構想がおありになったのか。
気になることはいくつもあるが、謎は謎のままで、あれこれと考えるのは楽しい気がする。
皇居宮殿で歌会始めの儀が行われた。
最年少は東京学館新潟校の女性生徒であった。
東京学館新潟校は、全校をあげて短歌創作に取り組んでいるという。
これまで8人の生徒が歌い始めの義に選ばれている。
短歌創作にいかに力を入れているかがわかる。
今年のお題は「和」であった。
それいいね付和雷同の私でもこの恋だけは自己主張する
女子生徒が詠んだ歌である。
朝新聞を見た。
文芸 4誌、文學界、新潮、すばる、群像の広告が並んで掲載されていた。
読みたくなった。
知っている作家の名前は、全体の1割くらいだった。
外を見ると、薄日がさしていた。

樋口一葉は、貧しい生活のなかで作品を産んだ。
もし一葉が裕福な生活を送っていたら、あのような作品を産むことができただろうか。
おれは以前、一葉がもっと生きていたら、素晴らしい作品を書くことができたろうに残念だと書いた。
【新年の歌】あらたまの 年の若水 くむ今朝は 樋口一葉 – M&Cメディア・アンド・コミュニケーション (mc-mc.co.jp)
いまは少し違う気持ちだ。
もし一葉が成功を収めていき、裕福になったとき、いま残っているような作品を書くことができるだろうか。
これまで味わったことがない生活環境で作品を産み続けられるか?
きっと苦しいだろう。
一葉はそれに耐えられるか?
S・Yは今朝も朝食前に小説を読んだ。朝早く起きて、朝食前の家族が寝静まっている時間、小説を読むのが、ここ数年S・Yの習慣になっている。
いまでこそ毎日小説を楽しんでいるS・Yだが、学生のときも若いときも、小説にはまったく馴染んでいなかった。
世の中には「小説(文学)を読んで何の役にたつのか」と言う人がいる。
S・Yはこの気持ちがよくわかる。
法律とか物理とか、そういう勉強は役に立つのが分かる。でも、小説(文学)はどうなのか。
これに対する答を、S・Yはここ数年小説(文学)を読んできて手に入れていた。
「旅行」と比べることだった。
旅行が嫌いな人はまずいるまい。
では、そういう人に「旅行が何の役に立つのか」と問えば、各人それぞれの答が返ってくるだろう。
小説(文学)もそういうことなのだ。

季節は急に秋めいたきた。日中、陽が出ているときは汗ばむほどだが、夕方になると、冬の厚手のシャツを着て、冬用の外出着をはおって丁度いい。
姪のMがSの家に来た。最近、文学が読みたくなったという。Mは都内の大学に通っている。
小説を読んでみたいと思って純文学作品を手に取ってみたが、面白さがどうも分からない。
ざっくりといえば、こんなことをMは言った。
Sは小説について少し、考えた。最近はYouTubeで文学作品を語る人が増えている。
「人間関係に疲れたときにはこれを読め!」というふうに、あたかもクリニックのドクターが「あなたの症状はこうだから、この薬が効きます」と言って、ある薬を処方してくれるようなものだ。
文学作品とは、そういう対処療法の薬のようなものだろうか。確かにそういう面もあるだろうが、本当は違うのではなかろうか。
悩みを持って文学を読む。読み終えると、悩みが解消されるどころかさらに深くなる。でも、読む前の悩みと読んだ後の悩みは、その質が違う。
その違いを実感することを繰り返しながら、自分なりの回答を発見するのではなかろうか。それが文学を読むということではないか。
文学を読むとは何かと問われれば、いろいろ言えるだろうが、こういうことも大事なことではないか。
SはこんなことをMとの会話のとき考えたが、Mに言うのはやめた。
Mには、もっと違う言い方があるはずだと思ったからである。でもそれが何かは、そのときSには思いつかなかった。
翌日、風呂からあがったときに、それが何か考えた。
頭の中はまだ整理がつかなかったが、「文学する」という言葉がふさわしいように思えた。
「文学を読む」ではなく「文学する」である。
鬼怒川温泉。栃木県を代表する温泉街である。鬼怒川渓谷沿いに旅館が立ち並ぶ。
Sはあしたから鬼怒川温泉へ旅行に行く。
旅館の近くに寺社や遺跡はないかと、ネットで探した。Sは旅行に行くと、観光地というよりも、そうしたところを見るのが好きである。
今年の夏、水上温泉に行ったときは、山の中にある縄文人の住居跡を訪ねた。無論、そうした遺跡を訪ねる観光客は極少数で、Sが行ったときも、ほかに誰も来ていなかった。
ネットで探していると、佐貫石仏というのを見つけた。鬼怒川沿岸の高さ64メートルの岩石に大日如来が彫られているだという。摩崖仏というものだ。
風化が激しく、彫られた線はほとんど残っておらず、パンフレットに書かれた石仏の図をたよりに、訪れた人は拝観しているのだという。
Sはこれまで、岩盤に彫られた石窟は、中国の大同と千葉県の日本寺で見たことがある。今回見られることをとても楽しみにしている。

Sの家の近くに不思議な古本屋がある。
通り沿いにある、築50年は経っていようかという古い木造建築の一軒家で、店の広さは六坪ほどだろうか。小さな古本屋だ。
年配の夫婦が経営している。店先に出て客の相手をするのは奥さんである。旦那さんは店の奥にいて、何か作業している。
客の応対は奥さんがするが、それはSのような店にとって軽い客の場合で、恐らく大事な客はご主人も出てきてふたりで対応するのであろう。
店の書棚に並んでいるのは人文系である。ざっと見たところ、文学や思想の方面が多い。
もともとは神保町で古書店を営んでいたが、歳をとったので神保町の店は畳んで千葉のほうへ来たというのを、Sは奥さんから聞いたことがある。
本の品ぞろえがSの趣味なので、Sはこの古書店を気に入っている。しかし、なかなか店に行けないのだ。営業日が不定期だからだ。
ある日曜日、近所の用事を済ませたSの妻が「あの古本屋、開いているわよ」とSに言った。
Sは早速行きたかったが、昼食を取るところであり、食事が済んだらすぐに行こうと思った。
食事を急いで済ませた。家を出て古本屋に行くまでのあいだ、道を歩きながらSはきょう買いたい本のことを考えた。日本文学の本を何冊か買おう、できれば近代文学がいいかなと思った。
店の近くまで来ると、シャッターが閉まっている。妻が開いているというのを聞いてから1時間も経っていない。
店の老夫婦は恐らく、閉めっぱなしでは店の中が黴臭くなるので、空気の入れ替えに来たのだろう。
次に店が開いているときは、きっと行きたいものだとSは思った。

最近、芭蕉が書いた「おくの細道」「笈の小文」を読んでいる。
旅に病んで
夢は枯野を
かけめぐる
芭蕉、辞世の句。大坂で詠んだ。
芭蕉は旅に生きた。
旅に出て
旅に苦しみ
旅に病む
旅を住処に
生涯閉じる
芭蕉のような生涯を送るのも幸せかもしれない。
まだ俺には、その覚悟ができていない。
地元の地名について、さらに書く。
地元に、木下街道という通りがある。「木下」で「キノシタ」ではなく「キオロシ」と読む。
浦安から市川、船橋、鎌ヶ谷を北へ向かって走り、利根川につきあたる。そこが「木下(キオロシ)」という町である。
江戸時代、木下では利根川の上流から運んできた材木を陸揚げしたのかもしれない。「木を船から下ろす」でキオロシ。
このように考えているのであるが、如何であろうか。
地名とは、地域に慣れ親しんだ、住民の財産である。
文化や歴史と密接に関わっている。
どこかでこんなことを読んだ。まことにそのとおりである。

葛餅(くずもち)について書く。
以前、葛餅が有名な船橋屋の社長と話したことがある。
葛餅は発酵食品であること。
葛餅とはいうものの、原材料はじゃがいものでんぷんであって、それは創業以来変わっていないこと。
船橋屋の社長に就任して間もなくは、古くからいる職人さんや従業員さんとの意識にずれがあり、経営のかじ取りに苦労したこと、などを伺った。
それ以来、葛餅に関心が出た。
日曜のリハの帰り、北千住駅に向かう途中、商店街に伊勢屋という和菓子屋がある。
間口二間ほどの小さな店だ。前々から気になっていたので、家に買って帰ろうと思った。
ちなみに、和菓子屋の販売方法は、どこの会社も同じだ。
路面に間口一間か二間の商品ケースを置いて、お菓子を並べ、商品ケースを挟んで対面で販売する。
興味深い。和菓子屋世界の伝統なのだろう。ここ伊勢屋も同じだ。
いっしょに駅に向かって歩いていたドラマーが「ここの店、有名なんですか?」と言いながら、店の商品ケースを覗いた。
「僕も買って帰ろうかな。僕、葛餅が好きなんですよお」
色とりどりの和菓子がたくさん並んでいる、その一番はしに葛餅の折箱が置いてあった。
恐らくは、昭和時代と基本的にまったく変わらない、昔ながらの包装紙でくるまれた折箱である。折箱の風情に品がある。
俺は船橋屋の葛餅を思い出した。この店の葛餅と食べ比べてみようと思った。
家に帰って、黒蜜と黄な粉をたっぷりとかけて食べた。
船橋屋の葛餅はじゃがいもが原材料だが、こちらは小麦粉が原材料である。
葛餅は発酵食品なので、口に入れると、ほのかなくせのある風味がある。それが旨い。
食感。弾力があり、もちもちだ。
次は船橋屋の葛餅を買ってこようと思う。
「おくの細道」を読んでいる。
大変に読み甲斐のある作品だ。
例えば「黒髪山」についての記述。日光の男体山を「黒髪山」と呼ぶ。おれは恥ずかしながら、おくの細道を再読するまで知らなかった。
源頼政の歌「身の上に かからむことぞ 遠からぬ 黒髪山に 降れる白雪」。非常に有名だ。
芭蕉は「黒髪山は霞かかりて 雪いまだ白し」と書く。
頼政の和歌を思い浮かべる描写である。昔の歌人の世界と、いまの芭蕉の旅の世界が「歌枕」でつながっている。
こういうのがおれは好きである。ふたつの世界がつながる。ふたつの世界を行き来する。そして模倣でない、新しい世界を作る。音楽でもできるし、広く捉えれば人生でもできるであろう。

けさは雨の降る音で目覚めた。
スティーブ・ルカサーの演奏を見た。ギターを弾いて、すべての曲でボーカルを取っていた。
SLのギターの構えは様になっている。おれは、ギターを担いだときの自分の立ち姿を鏡で見ると、いつもカッコ悪と感じている。
SLの弾き姿を、お手本にしようと思った。
昼から北千住でバンドリハである。朝10時くらいに家を出た。雨は思いのほか強く、駅に行くまでにズボンが濡れてしまった。
濡れたズボンを履いて、これから何時間も過ごすのはいやだなと思った。濡れた感触がうっとおしいし、からだが冷えて体調を崩すかもしれない。楽しみでやっているバンド活動で、体調を崩すのは不本意である。
北千住の駅ビル、ルミネ5階のユニクロでズボンを買おうと思った。ユニクロに入り、店員にズボンの棚の場所を聞いた。棚からズボンを出して、フィッティングルームで試着した。
ここまで履いてきたズボンは濡れているので、いま試着しているズボンを履いたまま会計しようと思った。
フィッティングルームにいるスタッフに、ズボンのタグを切ってもらい、試着したズボンをそのまま履いて、タグをレジまで持っていってお金を払った。
濡れたズボンのうっとおしさから解放されて快適である。
きょうはドラマーMが参加した。一緒に演奏するのは初めてだ。気持ちのいいリズムをたたいてくれた。
リハを終えてスタジオの外に出ると、雨はやんでいた。
いま、中古の日記文学を読んでいる。「土佐日記」「蜻蛉日記」「更級日記」「和泉式部日記」、近世の「奥の細道」を読んだ。
日記と旅と人生は、ひとつの世界を形成している、というようなことを、日記文学を読みながら考えた。
人生はまさに旅であり、旅の1日1日、その記録や考えたことを書きつけるのは日記だ。
この3つは密につながっていて、その総体が一方向に進んでいるようでもあり、3つが循環しているようでもある。