昼過ぎから、上野の国立西洋美術館で現代アートの内覧会を見た。
内覧会の直前に、どういう人たちかは知らないが、若い男女が
川崎重工は武器供与をやめろ!
イスラエルはジェノサイドをやめろ!
と主張し始めた。
突然のことだったので、主張が始まった直後はあっけにとられた。
昼過ぎから、上野の国立西洋美術館で現代アートの内覧会を見た。
内覧会の直前に、どういう人たちかは知らないが、若い男女が
川崎重工は武器供与をやめろ!
イスラエルはジェノサイドをやめろ!
と主張し始めた。
突然のことだったので、主張が始まった直後はあっけにとられた。
U子ちゃんが来た。
妻と母親とで墓参りをしてきた。
午前中、横浜からT氏がクルマで来た。
妹さんが一緒だった。
朝の10時半ごろ到着する予定だったが、道が混んでいたらしく、11時過ぎにいらっしゃった。
H氏、O氏とともに出迎えた。
わたしはT氏と会うのは初めてだった。
3か月に1回くらいの頻度で来たいとおっしゃっていた。
考えない人が一定数いる。
たとえば、きょうは魚を食べたから、あしたは肉を食べようとか、きのうは濃い味付けの料理を食べたから、きょうは濃い味付けはやめて塩分の取り過ぎにならないようにしようとか、そういうことを考えないで出された料理を食べるという人たちだ。
テニスコートの真ん中に立ったまま動かず、むこうから来た球をポンポンと打ち返すような人たちだ。
相手コートのどこに打ち返したら効果的かは考えないで、自分は動かないから当然打ち返せない球もある。
そんな人たちだ。
世の中を気を付けて見渡すと、こういう人たちは意外と多く、半分くらいいるかもしれない。
孔子は、仁とか考とか礼とか、いろいろな概念で自分の思想を説明している。
しかし、根本にあるものは、抽象度をあげて言えば「美」である。
孔子が生きた時代、社会は混乱していた。(孔子は混乱していると考えていた)
人間が孤立化し断片化する人間分裂。
社会の秩序が崩壊し歪になる社会分裂。
孔子は人間分裂と社会分裂に対して、「美」という概念で対抗しようとした。
美しい秩序が孔子の強調したことであった。
美しい秩序という考えを中心において、人間と社会の秩序を形づくろうとしたのである。
わが日本では、道徳、思想、政治の中心にあるのは「美しい調和」であろう。
午後、佐野の小中に行った。
田中正造生家を訪ねた。生家が保存され、資料館になっている。
戸が閉まっており不審に思った。入り口わきに案内板があり、土日を含む週んで四日ほど開館しているようだ。きょうはたまたま休みの日であった。
近くに、人丸神社があるので、参拝した。
通りから北のほうに300メートルほど入ったところに鎮座していた。
湧き水の池に囲まれた清明さと厳かさが感じられる神社であった。
神社の裏は唐沢山が近くに見えた。
わたしは儒教と神道を信仰している。
儒教については、先祖供養、修身・治国・平天下、 萬物一体の仁が、わたしにとっての儒教である。
神道は八百万の神であり、天地と貫く空間のなかの自分である。
ただ、こうしたことを感じているだけでは不十分である。
信仰とは行いであると最近感じるようになった。
行いとは分かりにくい言葉だが、アウトプットというと分かりやすい。
石をひとつづつ積み重ねるようにアウトプットを続けていくこと。
石を投げつけてはいけない。必ず積みあがることを信じて、積み重ねていくことである。
わたしは言葉の捉え方が、キリスト教徒と神道を信仰するわたしたち日本人とではどう違うか、考えを巡らせてみた。
キリスト教の聖書には冒頭部分に有名なフレーズがある。
はじめに言葉ありき。
「世界は言葉でできている」というような意味かとずっと思っていた。
少し調べたらどうも違うらしい。
「根源的原理は、世界を構成する論理としてのイエス・キリスト」というのが正しい訳のようである。
世界の根源はキリストの論理世界なのである。
その論理を伝えるために言葉があるのだ、というニュアンスをわたしは感じた。
言葉はツールなのだ。そんな印象を持つ。
一方、わが日本はどうか。
「言挙げせず」という言葉がある。
敢えて言葉として言わない、という意味だ。
言葉は神聖なものである。言葉には神が宿っている。だから軽々しく言葉を発しない。
「言霊(ことだま)」という言葉もある。
それも同じ意味なのだと思う。
キリスト教文化では、言葉はツールである。
一方、我が国では言葉は神聖なものである。
もちろんこんな単純ではない。
でもこういう角度から世界のできごとや歴史をみると、見えてくるものがある。
人と接するとき、ものを考えるとき、解決策を探るとき、萬物一体のこころを忘れない!
誰もが仕事を持っている。
会社に勤めている、自分で事業をしている人は勿論、主婦の人、年配でリタイアした人でも、それぞれ自分の役割がある。
仕事とは神事(かみごと)である。
仕事とは、神様との出会いである。
こういうことは証明できない。理屈ではないからだ。
本人が気付くしかない。
気づいていない人にいくら説明しても、その人は分からない。
でも、「仕事は神様との出会い」と言われたとき、誰もが心当たりがあるだろう。
神様という言葉が嫌いな人は、良心と置き換えてよい。
仕事は自分の良心との出会いである。
このことに気づくと、自分の周りが見えてくる。
家族のことから、地域、職場、国、国際情勢までが見えてくる。
自分の仕事をまっとうすること、どれだけ仕事に打ち込んでいるかが、その人の判断基準であり、同時にわたし自身がほかの人から判断されるときの基準でもある。
謎とされている。
古今集は醍醐天皇の勅命によって撰進された我が国最初の勅撰和歌集だ。
成立は、仮名序によれば延喜五年(905)四月十八日。
千年以上前の平安時代につくられたのに、月日まで特定できるのは、かなりレアなケースだ。
作られた背景には、もちろん和歌の隆盛がある。
古今集が編纂される100年前、嵯峨天皇、淳和天皇の御代は唐を模した政策・文化に満ちた時代であった。
文芸方面では天皇と臣下が漢詩を詠みあった。
当然、漢詩集の編纂も続いた。
いわゆる唐風謳歌時代である。ちなみに、わたしが大学生のころ、国文学の教員は国風暗黒時代であると教えてくれた。
栄華を誇った唐王朝は次第に国力を弱めて、907年ついに朱全忠に皇位を禅譲して王朝としては滅亡し、一地方政権に成り下がる。
平安朝の空気も唐から和へと揺り戻しが起きた。
こうして醍醐天皇のひとつ前の御代、宇多天皇の時代、和歌が盛んになった。
歌合せも盛んに催された。
しかし、宇多天皇は勅撰和歌集の編纂には着手されなかった。
宇多天皇が勅撰和歌集の構想をお持ちになっていたかどうかは分からない。
そして醍醐天皇は勅命を発し、和歌集の撰進となるわけだが、どうして醍醐天皇は勅命を発せられたかは、資料が残っていなくてはっきりしない。
興味深いのは、紀貫之を中心とする撰者四人は万葉集を勅撰集と考えていたことだ。
現代に生きる人たちのなかに、万葉集を勅撰集と考える人たちはどれくらいいるだろうか。
撰者は万葉時代の和歌を「古」、その万葉和歌を継承する和歌を「今」として両方から歌を選んだ。
だから「古今和歌集」なのである。
撰者たちは、万葉集を理想の古代とみて、万葉集の伝統の継承と発展を目指した。
唐風の空気が薄まり、国風の濃度が高まった時代、撰者たちはもういちど自分たちの文化を掘り起こしていった。それはどうしてなのか。
醍醐天皇は、古と今の両面から歌を撰するという構想がおありになったのか。
気になることはいくつもあるが、謎は謎のままで、あれこれと考えるのは楽しい気がする。
きのうは今上陛下の誕生日であった。
皇居に行ってお祝い申し上げるのを楽しみにしていたが、雪交じりの冷たい1日だったので取りやめた。
きょうはきのうの天気からは一転、いまは朝7時だが、明るく強い日差しが東の低い空から差し始めている。
スマホで天気予報を見た。気温は7度くらいにしか上がらないが、一日中晴天で、きのうよりは大分暖かく過ごせそうだ。
きのうの寒さが来るまでは、温かい日が続き、今年の冬は終わったと思っていた。
こんどこそ今年の冬は終わりになってほしい。
ゆうべ寝る前、天気予報を見た。
きょうは寒い日になると予報だった。
朝起きると、寒い。天気予報を見ると最高気温が3度だ。雪になるかもしれない。
外を見ると、冷たい小雨が降っているようだ。
きょうは天皇誕生日だ。皇居に参賀し、お祝い申し上げるつもりだった。
寒い中出かけて体調を崩すことを恐れ、残念だけれど参賀はやめた。
皇居には行かないが、陛下の御健康をお祈り申し上げたい。

帯津良一医師は88歳の現役医師だ。
月~金はふたつのクリニックで患者を診て、週末は講演、ほかに執筆活動を行う。
365日休みなし。
体力・気力ともに充実しているという。
帯津医師は健康維持のため、3つのNGを実践している。
1.休肝日はNG
帯津医師は365日、毎日晩酌する。
居酒屋で飲むときは、生ビール2杯、ロック2杯。
ほかの料理屋や自宅で飲むときも同じ分量のようだ。
「仕事を終えて、自分を労いながら一杯やる。人生最大の楽しみ」(帯津医師)
2.嫌いなものを食べるのはNG
からだにいいと言われていても、嫌いな食べ物は食べない。
「おいしいというのは心のときめき」(帯津医師)
かつては玄米食なども患者に出していたが、いまでは普通の食事に変えた。
万人に対してよい食べ物はない、という結論に達したという。
「好きなものを少量食べる」(帯津医師)
3.減塩はNG
塩分は人間のからだにとって必要不可欠だ。
減塩に気を揉むよりも、しっかりと塩分を取ったら、翌日は塩分を控える。
ーーーーーーー
帯津医師の健康法のポイントは、考えながら食事していることだ。
わたしの身近な人にもいるが、考えずに食事する人が一定数いる。
用意された食事を食べるという人たちである。
帯津医師のように、きのうは塩分をしっかり摂ったから、きょうは少し控えよう、とかは考えない。
かねがね、わたしは考えながら食事することは、健康によい(からだと頭の健康)と考えてきた。
帯津医師の実践を知って、その考えを新たにした思いだ。
エリック・クラプトン、ジェフ・ベック。
ロック第一世代のスーパーギタリスト。
俺はいまでも二人のギタープレイに憧れている。
永遠のスーパーギタリストでありギターアイドルである。
ふたりはロンドンでジミ・ヘンドリックスのライブを見た。
見終わったとき、きっとこう感じただろう。
俺たち、もうギターはやめよう。
ふたりともギタープレイの革新者だった。
当時のブルースロック界の先頭集団だった。
これからも新しいことにチャレンジしていくつもりだった。
それが、ジミはふたりがやるべきことをすべてやっていた。しかも桁違いのレベルで。
もうふたりにはやることがなかった。
ギターは廃業しよう。
そう思ったのは正解だった。
ふたりにとっての苦しみが始まった。
1970年、ジミがなくなった。
重しが取れたような気持ちになった。
同時に、追いかけていくものもいなくなった。
ふたりはそれぞれ、独自の道を進むことに迷いがなくなった。